7月14日(火) 早くも、今日はデンマークを出国する。帰りは航送ルートを通る。コペン ハーゲンとハンブルクの間をECが1日5往復しており、午前中だと、コペ ンハーゲン発7時55分、10時55分とあるが、7時55分がいいだろう と思っていた。ところが、予約が必要である事を思い出し前日の夜に予約窓 口へ行ったが、すでに7時55分発はとれないし、予約なしでは乗れないと 言う。しかたなく、10時55分発EC36にした。 朝おきてから時間があるので街を歩く事にした。10時前だとあまり開い ている店も少なく、人通りも多くない。実は、もう寒さに耐えきれず長袖の ものをなんでもいいから買おうと考えていたのだ。10時を過ぎ、何軒か見 て回り日本円で2000円程度のパーカーを買う。安いのは、Sサイズだっ たので、売れ残りだろう。レジで前に人がトラブって、結構いい時間になっ てしまった。慌てて、ホテルへ戻りチェックアウト、駅まで急ぐ。 5分くらい前には着いただろうか。ホームに入っていた車両はIC3だっ た。もしかしたらと、客車を期待したが期待外れだった。1等の喫煙席を予 約してある。1等は最後部の半車で喫煙席は禁煙席とガラスの仕切りがある。 1等の喫煙席は1人掛けと2人掛けのそれぞれのボックスになっていて、6 人が定員である。私の席は4人席の進行方向反対側の窓側で、前の席には鞄 がおいてあり、1人がけのボックスの方には60過ぎだろうか、紳士が1人 座っていた。そのまま、列車は発車した。荷物の主は現れない。よく見ると、 紳士の上には予約の表示がない。IC3は、予約が入った座席には荷物棚の 部分に自動的に表示される仕組みになっている。どうやら、荷物はその紳士 のもので、1人がけの席に移っているらしい。聞くとやはりそうで、荷物を 棚に上げ、進行方向の席に移らせてもらう。車販で買ったビールを飲んだり、 雨の車窓を眺めて過ごす。 その後、どうゆうきっかけか忘れたが、その紳士と話をするようになった。 話と言っても、こっちは片言の英語、向こうは英語のほかにドイツ語やフラ ンス語も話せるらしい。順序は不同であるが、ハンブルクに着くまでに、話 した内容は以下の通り。 ・その紳士は、スウェーデンのストックホルムから北に向かった所から、ド イツのブレーメンの手前まで行くと言い、目的地には親戚か何かがいるら しい。飛行機が嫌いなのでいつも、鉄道を利用している。おまえは日本だ から、飛行機で来るしかない。(シベリア鉄道があると返した。。。) ・ICEは、200人以上死んだ事故を起こしたが、TGVはそんな事はな い。時速も330キロ出るし、ICEと違って高速新線は貨物など走らな いのですばらしい。 ・日本の新幹線は、狭軌だと思っていたらしく、標準軌だと言ったら、感心 していた。また、フランスの鉄道は左側通行だが日本はどうかと聞かれた ので、左側だと言ったら感心していた。 ・日本のプライムミニスターの「クシモト」は危険なのかと聞かれ、「橋本」 だと、訂正する。しかし、こっちは選挙結果すら知らないので、「Vote」 の時はヨーロッパにいたので分からない、と言ったら、この列車はこれか ら「Boat」に乗るんだと言われて、苦笑した。 ・フランスがヨーロッパではナンバーワンで、フランス人は英語を話さない ので、フランス語を勉強するとよい。東京の人口は何人だと聞かれ、「テ ンミリオン」かと聞かれたので、そうだと言ったら、パリは「イレブンミ リオン」だと言われ、閉口した。 ・今年のヨーロッパは寒いのかと聞いたら、北の方は雨ばっかりで寒いけど 南は、暑いそうだ。 ・オリンパスの「μ」(ミュー)とコンタックスの「G1」を持っているが、 「μ」(ミュー)と言うのは、どういう意味だと聞かれたが分からないと 答える。 そんな事を話してるうちに、ハンブルク15時21分若干の早着だった。 航送区間も船内は込んでいて、デッキに出れば雨だし、6両のIC3が分割 されずに船に乗ったのは意外だったが、それ以外はどうと言う事もなかった。 紳士と分かれ、ICでブレーメンへ向かう。次はオランダに行くつもりな ので、少しでも近づいておくつもりだ。ブレーメン到着後、IRでLeerへ向 かうつもりであったが、向かいのホームにDLが2両の客車を引いている列 車を発見、1両はクリームと緑のツートン、もう1両はクリームと青のツー トン両方ともコンパートメントと言う、何とも渋い列車であった。行き先は、 Uelzenでトーマスクックには乗っていない路線らしい。どっかで降りようか とも考えたが、結局、Uelzenまで行ってしまった。2時間余りのローカル線 の旅だった。 Uelzen、からIRでハノーファーに向かい、去年泊まったホテルに泊るこ とにする。Uelzenからの途中、ICEの事故現場エシェデを通る。最後部の 制御客車に乗り、かぶりつく。運転台の後ろはガラス張りで運転台が丸見え、 速度はぴったり200キロであった。エシェデに近づき速度を落としたので、 もしかしたら、まだ、速度を制限しいてるのかと思ったが、しばらくして加 速し、エシェデでは、200キロで貨物を追い抜く。線路が真新しいのが印 象的だったが、報道での写真と現地の様子は私の頭の中では一致しなかった。