武蔵野線の悲哀


武蔵野線は私が物心付いてから開業した比較的新しい路線だ。地元の府中が始発であることもあって、身近な路線でもある。開業当初は40分に1本程度しか走っておらず、非常に使いづらい路線であったが、いつしか12分ヘッドになった。

車両は当初中央線の101系が回ってきたが、古いものが多く、運転室の後ろは大きな仕切り窓があり楽しかった。その後、103系が回ってきたが、各線区のお古で塗装も塗り替えず走っており、いかにも寄せ集めと言う感じがした。


 

黄色一色の武蔵野線は珍しいのではないだろうか?しかも6両全部同じ色という珍しい編成

(昭和59年11月)

 

武蔵野線には一時201系が走っていた。8両化を機にいなくなったが、代わりに来たのは103系だった。

写真のヘッドマークはJR東日本1周年。

(昭和63年4月)

 

ダイヤ改正のヘッドマークを付ける103系高運車。ダイヤ改正とは昭和60年3月改正のことだが、それ以前は武蔵野線は1時間に1,2本の運転であったと記憶している。

今まで、ダイヤ改正のヘッドマークなどありえなかったが、民営化に向けて変わり始めてきた頃の様子。

(昭和60年3月)

 

101系置換え用として各地の103系が投入された。しばらく、転入前の塗装のままだった。かつての南武線を思わせる。

写真は松戸から来た103系。

(昭和59年11月)

 

新幹線が大宮開業してから、夏休み期間中など、大宮までの直通電車が運転されるようになった。現在、快速新幹線リレー号として、高尾、八王子から運転されているが、当時は府中本町からの運転で武蔵野線内西浦和まで各駅停車だった。

写真は、西国分寺駅を発車する大宮行き。

(昭和60年7月)

 

武蔵野線の101系は古いものが多かった。この写真は特に原型を保っている車両。

小さくて見難いかも知れないが、上の写真とライト、尾灯、ワイパーなどを比べて欲しい。

許可を得て撮影

(昭和60年4月)

 

  

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