オレンジ色の憎い奴


このフレーズを知っている人は、私と同い年かそれ以上の方だろう。ここで紹介するのは、某新聞とは関係ない、中央線の写真を紹介する。中央線というのは、当時国鉄の五方面作戦というのがあったが、その五方面の中でも、101系が作られれば最初に投入されたり、201系もそうだったし、優遇された路線ではないだろうか?他線区から転入してきた車両も決して他の色で走ることはなかった。

しかし、現在では五方面唯一、複々線が途中までしか完成しておらず、混雑も激しく、201系以降新車は投入されていない。。おかげで当時も今でも中央線はオレンジなのだ。101系を中心に紹介したい。


 

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101系の最初の投入線区である中央快速線からついに引退の時がきた。その日、私は武蔵小金井に行き、さよなら運転のために回送される101系を狙っていた。

今見ると上屋のないホームに古さを感じる。

(昭和60年4月)

 

上の後、走行シーンを狙うため、国分寺付近でカメラを構えていた。101系は窓が全快することが出来たため、乗車している人は窓を全開で乗っている様子がわかる。

(昭和60年4月)

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子供の頃は、なんで中央線の電車は高尾までなんだろうと不思議でならなかった。相模湖まで一駅なんだから半分くらいは相模湖まで行ってもいいんじゃないかなぁと思っていた。

写真はシーズン中に運転されていた高尾−相模湖間の臨時列車。

(昭和55年9月)

 

現在、土日ともなると、首都圏のあちこちに走っているのがホリデー快速。その元祖が、青梅線、五日市線直通の特別快速「おくたま」「あきかわ」だ。201系になった今でもホリデー快速の一員となって運転されている。

(昭和60年4月)

 

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